実家に来て三日目。母と二人で、リビングにいた。何も話さないまま黙ってテレビを見ていると大くんが映り、母は電源を消した。「今、何週なの?」「十二週……」「あまり時間が無いわね。美羽、どうしても産みたい?」「うん」「紫藤さんと結婚できないかもしれないし、一生、彼と会えないかもしれない。それでも?」一生会えなくなるということはどういうことなのだろう。会えないなんて苦しくて辛くて、私は耐えられるだろうか。それが許されないのなら、子供は下ろさなきゃいけないっていうことだろうか?もしそうなら……大好きな人に一生会えなくても、それでも、私は赤ちゃんを産みたい。辛くても、苦しくても……。「お父さんは、いろいろ考えてくれたんだと思う。二人にとって一番いい未来を。娘をあんなに愛してくれて……嬉しいよ。でも、彼の仕事は人気商売。夢を与えることなのよ」「……うん」まさか、自分がシングルマザーになるなんて考えてもいなかった。「子供を一人で産んで育てていくというのはものすごい覚悟なの。簡単なことではない。母親の先輩として私から言えることはそれだけよ。よく考えなさい」「……わかった」でも、心の中ではまだ、大くんが迎えに来てくれると期待しているのかもしれない。
そんな話をした夜。父が帰ってきた頃、突然の来客が来た。母が玄関に向かっていく。こんな時間に誰が来たのだろうか。しばらくしても玄関から戻ってこない母の様子を父が見に行った。私も気になって玄関まで行くとそこにはCOLORのメンバー黒柳さんと、赤坂さんと大人の女性がが立っていた。「COLORの所属している事務所の社長さんだって」母が父に向かって言う。「上がってもらいなさい」応接室に入ってもらうと母はお茶を出した。「お構いなく」彼女は名刺を差し出してテーブルの上に置いた。「事務所社長の大澤穂希と申します」年齢は三十代だろうか。とても美人な女社長だ。「うちの大事な商品に、傷をつけたお詫びをしていただきたく参りました」「……と、言いますと?」「顔に傷がついておりまして、仕事をいくつかキャンセルさせたので」父は怒りのあまり手をあげてしまい、顔が赤く腫れてしまったのだろう。痛くないだろうか大丈夫かと心配になる。「うちの大事な娘を妊娠させておいて、なんですかそれ」父は冷静な口調だったけれど怒りをなんとか抑えているかのようだった。「ええ。お互いにとって一番いいのは、中絶だと思います。お嬢様の将来のためにも」「嫌です」咄嗟に言い返すと、大澤さんは笑顔を向けてきた。笑っているのにひどく冷たいものだ。「日本中に愛されるべき男をそんなにも、独り占めしたいの?」「……」まさかそんなこと言われるとは思わなかった。独り占めしたいだなんて思っていない。できることなら芸能界の仕事を続けてもらって、その上で結婚も認めてもらいたい。でもそんなに簡単なことではないのだろう。言葉に詰まり私は瞳を白黒させた。「俺らの夢を壊さないでください」赤坂さんが真剣な眼差しを向けてこちらを見てくる。自分の幸せが人の夢を壊す……。そんなこと、考えもしなかった。「帰ってください」今まで黙っていた母が震えながら言う。「お腹の子供には罪はありません。子供のことは、私たち家族で考えます。不安定な職業の男性と結婚なんてさせられませんし、今後一切関わらないことを約束します。紫藤さんにも娘のところには会いに来ないでと伝えてください」「ええ。同意見です」ニコッと笑った大澤さんは封筒を差し出した。「少ないですが、お詫びの印です」父は封筒を押し返した。「いりません」「
*大くんに会えなくなって一週間が過ぎた頃、実家近くの公園で空を見ていた。定期検診に行ってきた帰りで歩くのは疲れたので少し休むことにしたのだ。すると人が近づいてきた。誰だろうと顔をよく見ると大澤さんだった。まさかこんなところに現れると思わなかったので驚いて固まってしまう。「こんにちは」「……っ」「まだ、お腹にいるの?」「……」私が座っているベンチの隣に腰を降ろした大澤さんは、私に日傘を差してくれる。「愛してるのね。紫藤を愛してくれて本当に、ありがとう」柔らかい声が耳に届いて驚いた私は、思わず大澤さんを見てしまった。「この前は失礼な言い方してごめんなさいね。紫藤は、本当に才能がある男なの。きっと十年後には国民的芸能人になっていると思うわ。歌だけじゃなくて、演技も、番組の司会もできるマルチタレントになっていると思う」柔らかな風が吹く。だけど、それが切なくて泣きそうになった。「今は小さな種かもしれない。だけど、間違いなく大きく花が咲くわ。あなたなら、近くで見ていたからわかるでしょう? 彼はたくさんの人に愛される人間。そしてたくさんのファンを幸せにすることができる力を持っている人。この世界にはね結婚もタイミングがあるのよ。祝福される時と、憎まれる時期とね……」コクリとうなずいた。痛いほどわかる。大くんは、スターになるべくして生まれた人なのだ。どう考えたって今は結婚するタイミングではない。「その彼の可能性を、あなたが奪っていいの? 大事な芽を潰してもいいの? 愛しているなら、身を引くって選択もあるのよ。静かに見守る愛もあるの。女としてそういう愛し方もあるのよ」涙がポロッと落ちた。ハンカチをさっと出してくれる。「紫藤も辛いはずよ。だからね、あなたに憎まれ役を演じてもらいたいの」「どうやって、ですか?」「手紙を書いてもらえないかな。中身は嘘だらけになるかもしれないけれど」「嘘?」そういうことだろうと思って私は首を傾げた。「紫藤との結婚よりも、未来の安定を選びましたって」「……」「辛い思いをさせて本当に本当に、申し訳ないわ」大澤社長はこの前実家に訪れた時とは印象が違って、少し理解のある人に見える気がした。「……わかりました」手紙を書いて、大澤さんへ郵送することを約束した。私は……大くんの幸せと、COLORの夢、た
家に帰って手紙を書いていると、母が帰ってきた。公園で大澤さんに会ったことを伝える。「そう……」「でもね、もう少しギリギリまで赤ちゃんのことは考えさせて。お母さん……わがままな娘でごめんね」「美羽」ギュッと抱きしめてくれた。「女として産みたいのは、わかる。……お母さんと一緒に育てようか?」「いいの?」「うん。お父さんはなかなか許してはくれないだろうけど、お父さんを一緒に説得しよう」「ありがとう……お母さん」抱きしめ合って、涙を流した。もう、メソメソしていられない。お腹の子供のために、頑張らなきゃ。二日後、手紙を書き終えた。『紫藤様短い間でしたがお世話になりありがとうございました。私は自分の将来を考えて、子供は産まない決断をしました。このことは一生誰にも言わない秘密にします。仕事に励んで頑張ってください。さようなら』涙を流しながら封をした。ポストに投函する瞬間。もう、永遠に大くんに会えないのだと思うと、悲しくて逃げ出したかった。「大くん……」短い期間だったけど、見つけてくれて、愛してくれてありがとう。絶対に、スターになって幸せを世の中に届けてください。大くん笑顔、怒った顔、泣きそうな顔、リラックスした顔、キスした直後の照れた顔がフラッシュバックのように蘇った――。ストンと手紙はポストの底に落ちた。さようなら、大くん。その後、私が住んでいたアパートは引き払って実家で暮らしはじめた。新しい携帯にして真里奈に連絡を取り、しばらく実家にいることを伝える。『そうだったのね。心配したよ。でも、産む決意をしたんだね。安産を祈ってるから』大学は夏休み期間中を終える前に、休学手続きを取ることにした。母子手帳をもらって、私は生まれてくる名前を考えていたりしている。女の子かな。男の子かな。出産への不安はあるけれど、やっぱり、楽しみだ。早く、成長しないかな。会いたいな。母が私を妊娠中、こんな気持ちだったのだろうか?悲しい中でも、前向きに頑張ろうと思っていた。これから私は母を説得した。なかなか首を縦には振ってくれなかったけれど、最後には宿った命には罪がないと理解をしてくれ、実家で産んで育てることを許してくれたのだ。
*九月になり私は強い腹痛に襲われて実家の部屋の中でうずくまった。母は心配してすぐに救急車を呼んだ。運ばれて担当の医者がすぐに体の様子を見てくれる。お願い。私と大くんの大事な大事な赤ちゃんを助けてください。祈るような気持ちで検査を受けていた。医師は表情を明らかに曇らせた。嫌な予感がした。ざわざわして仕方がない。もしかしてお腹の中で無事に成長していないのだろうか。「……どうかしましたか?」「胎児の活動が停止しています」「……え? どういう意味ですか?」「残念ながら、流産したということになります」あまりにも残酷すぎる言葉が降ってきた。どうして、どうして。「信じられないです……!」声を張り上げて泣いたのは、はじめてだったかもしれない。赤ちゃんの心臓は……もう、動かなかった。出血が多く強い腹痛があったため手術をすることになり、私は緊急入院したのだ。母が付き添ってくれ、私は手術室へと向かった。手術はあっという間に終わり、気がつけば私はベッドの上で眠っていた。そっと瞳を開くと病室に母がいてくれた。お腹に手をあてる。もう、いないんだ……赤ちゃん。大くんの赤ちゃん……。母は私の手をギュッと強く握ってくれた。閉じている瞼から、涙がこぼれ落ちる。「あなたなら、乗り越えられる試練なのよ」「試練……」「美羽を強くしてくれるために、赤ちゃんは宿ったの」「怒らないの? 避妊に失敗してって」「いっぱい怒ったでしょう。二人が愛し合っていたのはわかっているから……もう、怒れない」すごく優しい表情で頭を撫でてくれる。母親の偉大さを知ってジーンとした。「今眠ってる間に夢を見たの」「夢?」「女の子だった。たんぽぽに囲まれて、可愛い顔した……大くんにそっくりの赤ちゃん」「そう」「にっこりしてたの。ママ、大好きって言っているような気がしたよ」母は黙って話を聞いてくれていた。
次の日も母はパートを休んで付き添ってくれた。退院手続きを終えて病院の自動ドアを出た。太陽の日差しが強くてまだまだ暑い日が続きそうだ。病院を出ると元気に伸びたたんぽぽがあった。しゃがんで摘む。「はな……」「ん?」「はなが……見守ってくれている気がするよ、お母さん」「そうね……」私はそのたんぽぽを押し花しおりにして、お守りのようにして持ち歩いた。大学を辞めてもいいと言ってくれたけれど、通う決意をして夏休みを終えると普通の大学生になった。実家から通うのはちょっと大変だけど、一人になる勇気はなかった。真里奈も今まで通り接してくれたし、私は勉強を頑張ろうと思う。両親にたくさん迷惑をかけてしまったから……恩返ししたい。私は何事もなかったかのように四年生の大学を卒業し、一般の学生と同じようにリクルートスーツを着て就職活動をした。将来何をしたいのかとか、夢がなかったけれど企業に入社してとにかく仕事に励みたいとの思いが強かった。そして私はフルーツ大手メーカーの甘藤に入社した。大くんは、月曜夜九時のドラマに出るらしい。……けど、見ない。世間の話題についていけなくても、見たくない。果物のように甘いだけじゃない、苦くて、辛い恋はもう思い出したくない。きっと……。もう、大くんと私の人生は交わることがないだろう。過去のことに執着したって、苦しくなるのは自分だし。大くんだって、結果、スターの階段を上がっていて、幸せになっている。好きな者同士が、一緒にいることだけが幸福じゃない。……と、言い聞かせながら私は自分の新しい人生を歩みはじめていた。
第二章 再会は最悪で最低「マンゴーって美味しいですよね。大好きなんでこの仕事の話を聞いてから、今日が楽しみで仕方がなかったんですよ」「そう言っていただけると嬉しいです。紫藤さんのコマーシャルを見てこの夏はマンゴーが食べたくなる人が多いのではないでしょうか?」「そうなるといいですね」会話している二人の姿を私は後ろから眺めながらついて行った。エレベーターに乗って打ち合わせ室まで向かう間、一気に過去が蘇り泣きそうになった。必死で忘れようとした過去なのにふつふつと記憶が沸き上がってくる。すごく、息苦しい。落ち着け、私……。打ち合わせ室について私と杉野マネージャーは大くんと向い合って話をはじめる。杉野マネージャーが説明を開始すると、大くんは真剣な表情に変わる。昔は大くんをじっと見つめていると、顔を上げて目が合うとニコッと笑ってくれた。『美羽。どうしたの? 俺のことがそんなに好きなんだ?』優しい声で問いかけてきて、ギュッと抱きしめてくれた。大人になった大くんは、魅力が増している。あの腕に抱きしめられたら、一気にキュンキュンして心臓麻痺を起こしてしまうかもしれない。世間の女性が憧れるのもうなずける。外見だけでなく番組に出て彼のキャラクターも前面に押し出されているので人気の要因なのかもしれない。「ここからすぐ近くのスタジオで十一時から十三時まで写真撮影を行います。終了後、車で移動しながら昼食を摂っていただき、十四時から海辺での撮影をさせていただきます。十七時からはスタジオでの動画撮影を行い、その日にすべて撮り終える予定ですが、海での撮影は翌日の朝、足りないカットを撮って終了です。ハードスケジュールになりますが、よろしくお願いします」「わかりました」「我社としても力を入れている商品ですので、紫藤様に期待しております」杉野マネージャーの仕事をしている姿は、さすがビジネスマンって感じで見習うところがいっぱいある。私もいずれやらなきゃいけないことなんだよね。「では、早速移動していただきます。お車を手配させて頂いておりますので」立ち上がった大くんは、私を見下ろす。ビクッとなって視線を逸らすと、何も言わずに歩み出した。何か言いたそうな感じがするのは、気のせいだろうか。
撮影する場所は、すごく近い距離なのに歩いて行かないなんて、どんだけVIPなんだ。スタジオにつくと、メイクをはじめる。何もしなくたってつるつるの肌なのにメイクをするとさらにキラキラとした感じになる。その間に私と杉野マネージャーは、カメラマンやスタッフと最終的な打ち合わせをした。メイク室の様子を見ながら私と杉野マネージャーは、ヒソヒソと話す。「芸能人のわりに、対応いいな」「え、はい。そうですね」「ま、これから急に気分が変わるかもしれないから気をつけて対応して行こうな」メイクが終わった。「では、紫藤大樹さん入ります」声を張り上げた杉野マネージャーの合図で、大くんが入ってきた。髪の毛をふわりとさせて、白いYシャツの中に水色のランニングを着てジーンズというラフな格好なのに、眩しいほどオーラが出ている。「よろしくお願いします」大くんが大きな声でしっかりと挨拶をする。「では早速セットペーパーの前に立っていただけますか?」カメラマンさんは、我社の要望通り撮影を進めてくれる。「杉野マネージャー、セットペーパーとはなんですか?」「バック紙のことだよ」「なるほど」言われた通り、大くんは白いセットペーパーの上に立つと目つきが変わった。真剣でスイッチが入ったようだ。パシャカシャと――。シャッターを切る音が響く。クールな表情をしたり、ニコッと笑ったり、優しい表情を浮かべたり、器用に顔を動かす。さすが、プロだ。商品を持って決めポーズ。スプーンですくって食べて笑顔。一コマずつ素晴らしい絵を残してくれる。大くんの仕事現場をこんなふうに間近で見れるなんて、激レアだろうな。全国のファンは羨ましがられるだろう。「はい、以上になります」カメラマンの声が響く。写真をチェックすると、どれを使ってもいい出来栄えだ。あっという間に仕事をこなす姿に、ただただ感心する。「すげぇ」杉野マネージャーは思わず声を漏らした。時計を見るとまだ十二時になっていなかった。一時間も、早く終わったのだ。「予定が狂うな……」困っている杉野マネージャーの元に、大くんが近づいてくる。「時間があるので早めに出発して、海辺でランチなんていかがでしょうか?」間近で見ると、汗一つかいてない。涼しい顔を浮かべている。「そうですね。少し休んでいただけますね」「一緒にランチ
家に戻り、落ち着いたところで携帯を見るが久実からの連絡はない。もしかしたら、両親に会える許可が取れたかと期待をしていたが、そう簡単にはいかなさそうだ。久実を大事に育ててきたからこそ、認めたくない気持ちもわかる。俺は安定しない仕事だし。でも、俺も諦められたい。絶対に久実と結婚したい。日曜日、怖くて不安だったが挨拶に行こうと決意を深くしたのだった。久実side日曜日になった。朝から、赤坂さんが来ないかと内心ドキドキしている。今日に限って、お父さんもお母さんも家にいるのだ。万が一来たらどうしよう。いや、まさか来ないよね。……いやいや、赤坂さんならありえる。私は顔は冷静だが心の中は忙しなかった。もし来たら修羅場になりそう。想像すると恐ろしくなって両親を出かけさせようと考える。お父さんは新聞を広げてくつろいでいる。「お父さん、どこか、行かないの?」「なんでだ」「い、いや、別に……アハハハ」笑ってごまかすが、怪しまれている。大丈夫だよね。赤坂さんが来るはずない。忙しそうだし、いつものジョークだろう。でも、ちゃんとお父さんに会ってもらわないと。赤坂さんと、ずっと、一緒にいたい。ランチを終えて食器を台所に片付けに行くと、チャイムが鳴った。も、もしかして。本当に来ちゃったの?
久実を愛しすぎて、彼女のウエディングドレス姿ばかり、想像する日々だ。世界一似合うと思う。純白もいいし、カラードレスも作りたい。もちろん結婚がゴールではないし結婚後の生活が大事になってくる。つらいことも楽しいことも人生には色々あると思うが彼女となら絶対に乗り越えて行ける自信があった。ただ……俺も黒柳も結婚をすると、COLORは解散する運命かもしれない。三人とも既婚者のアイドルなんてありえないよな。大事なCOLORだ。ずっと三人でやってきた。大樹だけ結婚をして幸せに過ごしているなんて不公平だと思う。あいつが辛い思いをしてきて今があるというのは十分に理解しているから、祝福はしているが、俺だって愛する人と幸せになりたい。グループの中で一人だけが結婚するというのはどうしても腑に落ちなかった。だから近いうちに事務所の社長には結婚したいということを伝えるつもりでいる。でもそうなるとやっぱり解散という文字が頭の中を支配していた。解散をしても、俺は久実を養う責任がある。仕事がなくなってしまったら俺は久実を守り抜くことができるのだろうか。不安もあるが、久実がそばにいてくれたら、どんな困難も乗り越えられると信じていたし、絶対に守っていくという決意もしている。
赤坂side音楽番組の収録を終えた。楽屋に戻ると、大樹は美羽さんに連絡をしている。「終わったよ。これから帰るから。体調はどうだ?」堂々と好きな人とやり取りできるのが、羨ましい。俺は、久美の親に結婚を反対されているっつーのに。腹立つ。会うことすら許してもらえない。大きなため息が出てしまう。私服に着替えながらも、久実のことを考える。久実を幸せにできる男は、俺だけだ。というか、どんなことがあっても離さない。俺は久美がいないと……もう、生きていけない。心から愛している。どんな若くて綺麗なアイドルなんかよりも、世界一、久実が好きだ。どうして、久実のご両親はこんなにも反対するのか。俺に大切な娘を預けるのは心もとないのだろうか。なんとしても、久実との交際や結婚を認めてほしい。一生、久実と生きていきたいと思っている。俺のこの真剣な気持ちが伝わればいいのに……。日曜日に実家まで押しかけるつもりでいた。 強制的に動かなければいけない時期に差し掛かってきている。 苛立ちを流し込むように、ペットボトルの水を一気飲みした。「ご機嫌斜め?」黒柳が顔を覗き込んでくる。「別に!」「スマイルだよ。笑わないと福は訪れないよ」「わかってる」クスクス笑って、黒柳は楽屋を出て行く。俺も帰ろう。「お疲れ」楽屋を出てエレベーターに乗る。セキュリティを超えて ドアを出るとタクシーで帰る。一人の女性をこんなにも愛してしまうなんて予想していなかった。自分の人生の物の見方や思考を変えてくれたのは、間違いなく久実だ。きっと彼女に出会っていなければ、ろくでもない人生を送っていたに違いない。
週末まで仕事をして、金曜日の夜になった。赤坂さんが日曜日に突撃すると言っていたけれど、本当なのだろうか。冗談で言っていると信じたいけれど、彼はまっすぐな性格をしているから、冗談じゃない気もする。でも本当に家に来てしまったら、修羅場になるのではないか。不安な気持ちのまま夕食を食べて、何気なくテレビを見ていると赤坂さんが画面に映し出された。その姿を見るだけで私の心臓は一気にドキドキし始める。すごくかっこいいし、早く会いたくなる。許されるなら同棲をし、今後して、家族になりたい。そんな感情がどんどんと溢れてくるのだ。私の感情を打ち消すかのように、お母さんはさり気なくチャンネルを変えた。「……お母さん」そんな意地悪しないでと心の中でつぶやく。お母さんは小さなため息をついた。そして私に視線を向けないまま口を開く。「忘れるなら早いほうがいいのよ。二番目に好きな人と結婚すると、幸せになるって言うでしょ?」私に言い聞かせるようなそれでいて独り言のような感じだった。「お母さんは、二番目に好きな人がお父さんだったの?」「……」ここほこっとわざとらしく咳をして話をはぐらかされてしまった。お母さんは立ち上がって台所へ行ってしまう。たとえ幸せになれなくても私は一番目に好きな人と結婚したい。反抗的な感情が胸の中を支配していた。
入浴をして自分の部屋に入ると、どっと疲れが出る。 両親は……どうしたら、赤坂さんとの交際や結婚を認めてくれるのかな。 考えてもいい案が浮かばない。 「はぁ……」 赤坂さんに会いたい。抱きしめてほしい。 スマホに着信があり確認すると、赤坂さんだ。 以心伝心みたいで嬉しい。私のスマホに彼の名前が表示されるだけで嫌なことが全部チャラになったような気がするのだ。 慌てて出る。 「もしもし」 『久実、許可は取れたか?』 「あ、うーん……」 『許してくれないか。こうなったら、行くしかないな』 「ちょっと、何を考えてるの?」 『俺は久実を愛してんの。今すぐにでも迎えに行きたい』 これって、プロポーズなのかな。ドキドキして、耳が熱くなる。 今までもプロポーズみたいなことは言ってくれたけど改めて言われると心臓がおかしな動きをする。 「私も、だよ」 赤坂さんを愛おしく思う。 『松葉杖取れたから』 「本当!よかったね!」 『ということで、次の日曜日に突撃するわ』 「はっ⁉︎」 『じゃあな。ちゃんと寝ろよ』 電話が切れてしまい、私は、唖然としていた。 突撃されたら、お父さんは、もっと怒るかもしれない。ど、どうしよう。 冗談なのか、本気なのかわからない。そこが赤坂さんらしいのだけど。 突撃するわ、とか言いつつ、本当に来ないだろうとどこかで思っていた。
一気に部屋の空気が悪くなる。お父さんは無言でグラスのお茶を飲んだ。お母さんは眉間にしわを寄せて小さなため息をつく。散々反対されていたから、いい反応をしてくれないというのは予想ついていた。でも、負ける訳にはいかない。「プロポーズされたのか?」お父さんがいつも以上に低い声で問いかけてくる。怖じけそうになるけれど、私は気持ちを落ち着けて普段話をするように言葉を発した。「まぁ、そんな感じ。私は、赤坂さんがいなきゃ生きていけないの。赤坂さんが挨拶をしたいと言っていたから、会ってもらえない……かな?」お父さんとお母さんが顔を見合わせている。「お願い……。私も大人になったの。だから認めて」箸を止めていたお父さんが食事を再開する。まるで私の話を無視しているかのようだやっぱり、赤坂さんとの結婚はハードルが高い。落ち込みながら、私も食べ物を口に運んだ。味がしない……。きっとショックすぎているからだ。「久実は、自分をわかっているようでわかっていない」お父さんは、厳しく告げる。「自分は、一番自分をわかっているよ」つい、言い返してしまう。お父さんが私をギロッと睨んだ。あまり言い合いをしたくない。関係がこじれたら、もっと話がややこしくなる。部屋の空気が重いまま食事を終えた。
仕事を終えて外に出ると、とっても寒くて、体を縮こませた。 年は明けているけど、春はまだ遠い気がする。春ってなかなか来ないんだよね。待ち遠しい。 電車に揺られて、自宅に帰る。この普通の日常が私にとってはありがたい。赤坂さんが助けてくれたからこそ、こうして生きていられる。 私は、ふとスマホのカレンダーを見た。 来月は美羽さんと紫藤さんの結婚パーティーがあるんだった。 こぢんまりとやると言っていたけど、その中に招待してもらえたので嬉しい。 美羽さんのこと、大好きだし。 赤ちゃん、順調に育っているのかな……。 過去にいろいろあったみたいだから今度こそは絶対に健康で生まれてきてほしいと私も陰ながら願っていた。「ただいま」 家に帰ると、お母さんが作ってくれた夕ご飯の美味しい匂いが漂っている。 「お帰り」 早く、赤坂さんとのことを言わなきゃと思うけど、緊張してしまう。 手を洗ってうがいをしていると、お父さんも珍しく早く帰ってきた。 両親が二人揃っているので、赤坂さんに会ってほしいというには、いいチャンスかもしれない。ダイニングテーブルについて、食事をはじめる。 今日は、お母さんお手製のオムライスとサラダとコーンスープが並んでいた。大好物ばかりなのに緊張して落ち着かない。 「今日は仕事どうだった?」 ……赤坂さんとのこと、言わなきゃ。言わなきゃ。言わなきゃ。 「久実!」 「あ、な、なに?」 お母さんの問いかけに驚いて顔を弾かれたように上げる。 「なんか、変よ」 「そ、そうかな……」 笑ってごまかすがお父さんも不思議そうに覗き込んでくる。これは、チャンスと受け止めるしかない。 「お父さん、お母さん。わ、私ね、赤坂さんと結婚したいの」
そんなことを考えながらスマホを眺めていると……「彼氏から?」同僚がニヤニヤしながら質問してくる。興味津々という感じだ。「まぁ、そんな感じです」私は曖昧な返事をした。人には言えない恋。「どんな人? 誰に似てるの?」身を乗り出し聞いてくる。赤坂さんは赤坂さんであり、他の人に似ているとかない。好きな人が芸能人だとこういう時に、答えに困ってしまう。「そうですね……。うーん……」彼のことを気軽に話せないのが、たまに苦しい。もし週刊誌に撮られてしまっては、赤坂さんだけではなく、COLORのメンバーを傷つけてしまう。そうなると大変だ。自分のせいで迷惑だけは、かけたくない。ちゃんと親の許可を得て結婚するまでは誰にも言えない。外で堂々と会うのも、本当に気をつけなきゃ。『足の怪我が治ってからにしよう』返事をすると、すぐに返事がきた。『すぐ治る。だから、スケジュール聞いておけ。命令』相変わらず、俺様なんだからと……思いつつ、私はキュンとしてしまう。俺様だけど、甘えん坊なところもあるから、私がしっかり支えなきゃ。でも、まずは、両親に報告するのが先だよね。早く一緒に住める日がくればいいな。愛している人とずっとそばにいたい。でも……やっぱり両親のことが不安でたまらなかった。
久実side年末年始をゆっくり休んで、仕事が始まり、そろそろ二週間になろうとしている。赤坂さんと心も体もつながり幸せな毎日で……なんだか夢みたい。夢でありませんようにと、毎日思いながら眠りにつく。私は、ずっと逃げていた。赤坂さんと交際することはいけないことだと思っていたから。けれど、美羽さんから勇気をもらったおかげで、気持ちを伝えられたのだ。お互いの気持ちがしっかりとわかったので、これからは二人で協力してさらに前進していこうと決意していた。今の私にできることは仕事を頑張ること。そして両親に結婚を認めてもらう。そんな気持ちで、今日も、元気いっぱい仕事をしている。パソコンに向かって書類を作りっているのに、ついつい私は赤坂さんのことを思い浮かべて、胸を熱くしていた。……会いたいな。昼休みになり会社近くのカフェで同僚とランチをしていると、赤坂さんからメールが届いた。『久実の両親に早く会いたいんだけど、スケジュール確認してくれたか?』赤坂さんはスネにヒビが入りまだ松葉杖をついて仕事をしている。もうすぐ杖を使わなくても、普通に歩けるようになるらしい。大変な怪我じゃなくてよかったけれど、また怪我をしないか心配になる。私の両親に挨拶をしたいと言われているが、なかなか両親に言い出せない。でも、一歩踏み出さなきゃ、赤坂さんとの未来は開けないのに。両親の反応が怖い。せっかく、ここまで頑張ったのだから勇気を出さないと、本当の幸せは手に入らないよね。